子どもの権利保障とゲームの関係

2025年7月20日 07:18
親、教師、学童保育関係者、幼稚園教諭など、子どもに関わる多くの大人が、そして子ども自身が、ゲームとの付き合い方に困っている。
時間制限をしないと止められない、止めたくない子どもと、
子どもの睡眠時間や勉強時間を確保しなければと焦る親とで
バトルも起きている。
困っていない親子もいる。
楽しくて仕方なくて、どんどんやっている親子もいる。
どんどんはまっていく乳幼児をすごい!!とみている親もいるし、
スマホを優秀なベビーシッターとして使っている親もいる。
ゲームし放題にして、子どもたちを集めているフリースクールもある。
父親がテレビとゲーム三昧でゴロゴロしている横で、
いらいらしながら、子どもの視聴をやめさせようとしている母親もいる。
テレビやネットフリックスを一日中流している一方で、子どものタブレットやスマホはよくないという人もいる。
そんな中で、
「子どもの遊ぶ権利の中に、自由にゲームをする権利も含まれる」
という主張が聞こえてきた。
そこで、本稿では、子どもの権利保障とゲームについて考えたい。
それは、甘いプリンを思う存分食べるのは、子どもの権利だ!
という命題と共通のところがある(カバー写真)
子どもの食の保障、栄養の確保、健康の維持、ウェルビーイングな生活の
保障の観点に照らして、甘いものはどう与えればよいか?
その依存性の強さや健康被害が、甘いおやつとは比べ物にならない、新しい存在が、ゲームだ。大人たちもはまり、止められず、
しかし一方で、有用性があり、商業価値も高い。
勉強に役立つ、教育的であるとも言われる。
自分はゲームで育って、非常に良かった、ゲームがなかったら今の自分はないという大人たちもいる。
ゲーム市場は、もはや止められない一大産業である。従事する人たちにとって死活問題でもある。
いろいろな側面があるが、今回は、子どもの権利、に焦点を当てる。
賛否両論ある中で、十分な検索や推敲をする時間が取れない状況なので、
のちに校正する可能性がある文章である。
まず、子どもの権利条約から確認してみよう。
条約の中では、このような条文が参考になる。
【児童の権利に関する条約(外務省訳)】
第6条
1 締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。
2 締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する。
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実際にゲーム依存の問題はどの位発生しているのだろうか。
養護教諭対象の生徒たちの健康に対する実感調査では、中高生の発達で気がかりという回答が一番多いのは、メディア依存の問題である(野井他,2020)。実は、私がこの文章を書く予定であるとフェイスブックに書いたところ、フォロアーが急に増えた。親たちは必死になって情報を探している。ゲーム依存は広がっており、依存の問題は、大人たちにとっても関心や不安が高い問題なのだと思う。
ゲーム依存にまつわる葛藤で、高校生が自殺企図した事例がある。
韓国ではかつてゲームを止めようとした親の殺人も、本人の病死も発生した。ゲーム依存はそこまで親子を追い詰めることもある脳の依存状態である。とりわけ、幼少期の子どもたちの脳にとって、その影響は大きい。それらの問題を特異なものとみなすべきだろうか。
一方、ゲームには、子どもたちの発達を促したリ、子どもたちの心の居場所を作っていたりする面がある。既にゲームの世界に嵌っている子どもたちから、適切な方略なく急にゲームを取り上げることは、非合理であり、理不尽であり、危険でもある。
ゲームの使用に関して、ポジティブ、ネガティブ両方の立場からの研究報告がある場合に、私たちは生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保するために今、何をすべきだろうか。
第18条
1 締約国は、児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は、これらの者の基本的な関心事項となるものとする(以下、省略)。
→→→
養育や発達について父母が責任を負うというが、メディアという新しい機器やゲームという新しい遊びが、子どもの養育や発達に及ぼす影響を父母は必ずしも知っているとは言えない。知ろうとするのは親の責任かもしれないが、情報そのものが錯綜している段階で、子どものゲーム依存に苦しむ父母に第一義的責任を負わせるのは過酷と言えよう。
第24条
1 締約国は、到達可能な最高水準の健康を享受すること並びに病気の治療及び健康の回復のための便宜を与えられることについての児童の権利を認める。締約国は、いかなる児童もこのような保健サービスを利用する権利が奪われないことを確保するために努力する。
→→→
日本国内にゲーム依存の治療ができる機関は少ない。
児童精神科医も知識や技術が不足している。
(2019年に日本思春期青年期精神医学会で聞いた講演は、その少し前にNPO法人子どもとメディアが日本医師会館で一般参加者向けに行った講演の内容を超えるものではなかった)
ゲームをやりつつ、最高水準の健康を享受できると言える状況は、日本にはまだ存在しないのではないか。
2(f) 予防的な保健、父母のための指導並びに家族計画に関する教育及びサービスを発展させること。
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保護者対象のゲーム依存に関する情報提供は行き届いていない。むしろ、子どもたちには帰宅後も(ゲーム依存に結びつく可能性のある)タブレットを使うことが推奨されていたり、スマホを持っていたりして、実際には多忙な親が子どもをずっと監視しているわけにはいかない状況で(親が子どもを常時監視することが子どもの発達にとっていいとも言えない)、子どもたちは隠れてゲームをしている。
推進したい大人たちの、タブレットは勉強に役立つ、という主張に対して、実際に学校や家庭で起きていることは、「大人の目を盗んで、勉強以外の目的に用いる生徒たちが少なからずいる」ということである。それは子どもたちが問題なのではない。ゲームやインターネットの依存性が問題なのである。
第33条
締約国は、関連する国際条約に定義された麻薬及び向精神薬の不正な使用から児童を保護し並びにこれらの物質の不正な生産及び取引における児童の使用を防止するための立法上、行政上、社会上及び教育上の措置を含むすべての適当な措置をとる。
→→→
メディアには麻薬や向精神薬と同じように依存性がある。この条文を安易に援用することはできないが、依存性という面において、メディアに関しても、この状況を意識して考える必要があるのではないか。条約が時代に追いついていないと考えられる。
【デジタル環境に関する子どもの権利】
次に、デジタル環境について、2021年、国連子どもの権利委員会が公表した「デジタル環境に関する子どもの権利」を確認してみよう。https://www.unicef.or.jp/news/2021/0121.html
ここには、ゲームのこと以前に、インターネットのことが書かれており、ツールとしてのインターネットへのアクセスの保障と同時に、そのリスクについて子どもに伝えるようにとも書かれている。
「インターネットの恩恵を最大化し、インターネットをより安全でアクセスしやすいものにするために、政府や企業、研究者など様々な関係者、そして子どもたちが協力して取り組むことの重要性を訴え、様々な国で子どもたちも参加する活動を進めています」
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インターネットを介したいじめや搾取等に関する情報提供はあるが、
メディア依存、ゲーム依存についての予防的な情報はあくまで注意喚起にとどまっていて、そのリスクの下に具体的に健康に留意した使い方を考えさせるところ、コントロールできる使い方が書くときできるような指導はまだ十分にできていない。
次に、児童権利条約の中で、特に子どもの遊ぶ権利について確認してみよう。
【子どもの遊ぶ権利に関するジェネラルコメントNo.17】
子どもの権利条約の第31条、子どもの遊ぶ権利には、そのトリセツにあたるジェネラルコメントNo.17 が設定されており、その中で、メディアについては以下の説明がある。
45. 拡大しつつある電子メディアの役割:子どもたちは、今や世界のどの地域においても、さまざまなデジタルプラットフォームやメディアを介して、遊びやレクリエーションや文化活動や芸術活動に、消費者としてもクリエイターとしても、より多くの時間を費やすようになっている。それらは、テレビを見たり、メッセージを送ったり、SNSでやりとりしたり、ゲームをしたり、メールを送ったり、音楽を聴いたり創り出したり、ビデオや映画を見たり製作したり、新しい形の芸術を考案したり、画像を投稿したりするような活動である。ICTは子どもたちの日常生活の中心的な位置を占めるようになっているのである。今日、子どもたちはオフラインとオンラインの環境の境目を意識することもない。これらのプラットフォームから得られるものは、教育的にも社会的にも文化的にも非常に大きい。締約国には、全ての子どもたちが等しくこれらの利益を享受する機会を持てるように、できる限りの方策を講じることが求められる。グローバル社会において、インターネットやソーシャルメディアへのアクセスは、第31条の権利の実現にとって不可欠なものである。
46.しかしながら、デジタル環境が、それに費やす時間の問題も含めて、子どもたちに危険と危害を与える可能性が大きいという報告が増えていることを、当委員会は憂慮している 。たとえば、
・インターネットやソーシャルメディアにアクセスすることで、子どもたちがネット上のいじめやポルノグラフィーや性犯罪にさらされている。適正なアクセス制限や効果的なモニタリングシステムのないネットカフェ、コンピュータークラブやゲームセンターなどを利用する子どもたちも多い。
・特に、暴力的なコンピューターゲームが男子の間ではやり始めると、それをやめるのは難しいし、応答性が高くて暴力をふるうことが得点化されるために、攻撃的な行動につながると考えられている。ゲームは繰り返され、好ましくない学びが強化され、他人の痛みや苦しみに対する感覚が鈍くなってしまうこともあり、他人に対して暴力的で傷つけるような態度をとってしまうようになる。オンラインゲームをする機会が増えていることもまた心配の種である。子どもたちはフィルターも保護もなく世界中のユーザーのネットワークにさらされてしまうのだ。
・テレビを代表とする多くのメディアが、社会にあまねく存在する言語、文化的価値観、文化の多様性から生まれる創造性をうまくそこに反映できていない。単一的に文化を捉えてしまう視点は、全ての子どもたちが、文化活動が潜在的に持つ可能性から利益を得る機会を制限してしまうだけでなく、さらに主流でない文化は価値が低いという考え方を持たせてしまう。テレビはまた、何世代にもわたって街路や遊び場で受け継がれてきた多くの幼年時代の遊び方や歌、言葉遊びなどが失われていく原因にもなっている。
・メディア依存が亢進することで、子どもたちの身体活動のレベルは下がり、望ましくない睡眠習慣、肥満その他の関連疾病の増加なども関連して生じると考えられる。
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さて、ジェネラルコメントNo.17の中で、メディアに関する項目45と46は、特に長く、説明に細心の注意を払っているように思われる。
メディアが子どもたちの発達に急速に変化をもたらしているのは確かであり、課題山積だが、メディアから享受することのメリットが大きいがために、それを問題と言い切ることもできず、両論併記のような書き方がなされていると考えられる。
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これまで見てきたように、ゲームと遊ぶ権利の関係は、上記の条文等を踏まえて検討されるべきものである。
必要なのは活用のバランスだが、そのバランスの落としどころがまだ誰にもわかっていない状況であり、バランスを崩した時に児童の不利益になるとわかっているものを利益との天秤にかけて用いることが、児童の健康に対する大人の責任を果たしているとはいい難いのではないか。
「テレビは有益である」「ICTの導入が必要である」「メディアには早いうちから慣れさせなければいけない」と言っている有識者やメディア関係者は、実は自分の子どもには一定年齢まで与えなかったり、親がうまくコントロールする能力を持っていたりする場合が多いのではないか。また、実際には子どもがメディア依存になってしまっている例もあるのではないか。
一方で、無防備に子どもたちに触らせている親、仕事の間にベビーシッターとして使っている親たちは、知識不足ややむを得ない事情で子どもたちにただ渡して自由に使わせているといった矛盾がある。
何しろ大人自身が健康を害してもパソコンに向かい続けている日本の現状の中で、子どもたちの権利としてどの部分をどう保障していくことが優先されるべきなのか、それは誰が決めることができるのかについて、混迷状態が続いているといえよう。
そうすると、単純に「子どもの権利の中の遊ぶ権利の中に子どもたちが自由にゲームをする権利が含まれる」とは言い難くなっていると言えるのではないか。
インターネットゲームはそもそも子どもの基本的権利である「健康」を阻害する可能性が高く、子どもたちは(大人たちも)それをコントロールする術を知らない。
さらに、改めてもう一つ別の観点から、ゲームで遊びたいという子どもたちの言い分について考えてみよう。
「現代の子どもたちは必ずしも自由に外遊びができるようには育っていない」
外遊びが大事だからと、田舎で小学生男子を外に出しても、サッカーや野球位しか思いつかず、遊べないということが起きている。体育系で部活をしている大学生であっても、子どもの頃からサッカーや野球のチームに通っていたという学生たちは、自由な遊びを知らないことがある。大学生がボランティアとして公園に行っても、子どもたちと遊べない。
そういう育ちの子どもたちが、既に20代ー40代の親世代、教員世代になっていて、彼らは子どもを自由に遊ばせることができず、遊園地的な「遊ばせてくれる場所」に子どもたちを連れて行ったり、ルールのある遊びをさせたりしている。その際たるものがゲームである。
たとえ、狭くて平らな土地に申し訳程度の安全な遊具しか置いていない都市公園に子どもたちが行ったとしても、そこは禁止事項だらけで喧嘩もできない。コミュニケーションの練習の機会がないのである。大人の監視、管理の下、自由に遊ぶ機会は乳幼児期からずっと奪われ続けてきている。
だから、外に出されても楽しく遊べない。
ただし、ゲーム機やスマホがあれば、外でも座って遊べるから、外遊びにもスマホを持っていくのである。
実は既に20年前、大学で、学生たちに、「最も楽しかった遊びの思い出」について聞いたのだが、そのとき既に、アンパンマンの指人形、マクドナルドのプレイルームで遊んだこと、という回答があがってきた。家に帰ってから外遊びをしたことが一度もないという大学生もいた。
そんなことがあったので、数年前に、スポーツ系の学生たちを対象とした「遊びと発達」の授業で、学生たちを外に連れ出して、学内に植わっている桑の実やびわを食べようと誘ったのだけれど、彼らは「草花はとっていけない」と教えられてきているので、私のやることを遠巻きに見ていて手を出さなかった。幾人かは興味を示したし、経験がある学生もいたのだけれど、大多数は食べようとしなかった。
そういう時代に、子どもたちが、ゲームこそ遊び、と言い、大人たちがそれに賛同するのは、当然だろう。
では、改めて元の問いに戻ろう。
ゲームをすることは、彼らにとって、権利か?
子どもにたばこやお酒や大麻を与えて育てておいて、小学生になった子どもたちがそれらが欲しいと言ったら与えるのが、大人の役割だろうか。
大人たちもまた、ゲームが子どもたちの成長に与える依存性の問題を十分に理解していないのだと思う。
子どもの権利は、それを行使する条件として、その背景を十分に考える必要がある。
自分を傷つける権利がある、自分の身体なのだから自分で決める、という主張に対して、大人である私たちがどう答えるかが問われている。
ここでやっと2025年7月15日の読売新聞朝刊の私のコメントとなる。
「子どもが何でどう遊ぶかを決める権利は保障したいものだが、ゲームの依存性や健康に影響を及ぼす可能性などについて、子どもが適切な情報を得ているとは限らない。大人は情報を伝え、ゲームとのつきあい方を友達と議論できる機会を与えてほしい。」
最後に、上記の文章で、なぜ家族と、ではなくて、友達と、なのか?と聞かれたので、答えたい。
子どもたちにとって、「友達がやっている、共通話題についていきたい」ということはとても大事なポイントだからである。たとえ親と話し合って決めたとしても、友だちと違う行動をとることは、子どもの発達にとってリスキーである。
家で決めたルールをしっかり守って友達の輪に入らないような生徒は、他の生徒たちから歓迎されない。子どもにとって、クラスの友達たちがみんなやっているゲームに入れないというのが辛いことになるので、家族ではなく、友だちとみんなで決めなければならないのだ。
やっていない子が、クラスにもう一人いたとしたら、その子と仲良くなれれば何とかギリギリ。でも、クラス全体、学年全体、学校全体で、自分たちで決めたルールを持っている、ということに意義がある。そして、これはなかなかに難しい。
だから、学級の子どもたち、学校の子どもたち、生徒会などの子どもたちの組織が、メディアとの付き合い方を、自分たちに与えられる危険や危害を知った上で、話し合って、ルールを決めていくことが必要なのである(実際にそうしている中学があると聞いている)。
その際、大人たちがしっかりと判断材料となる情報を伝え、子どもたちが「自分の身体や心や脳」について考え、対応できるようにしていくのがよいだろう。
2021年にベネッセの取材に応えた文章を、こちらに掲載しておく。
こちらも参考にしてほしい。
ベネッセ教育情報<勉強のために睡眠や遊び時間を削っていませんか?保護者が知っておきたい「遊び」の重要性と、脳を発達させる遊びのこと> 2021/06/14
勉強のために睡眠や遊び時間を削っていませんか?保護者が知っておきたい「遊び」の重要性と、脳を発達させる遊びのこと|ベネッセ教育情報サイト【ベネッセ|育児・子育て】子どもたちの未来を守るため、日本の「やりすぎ教育」の環境改善に取り組む臨床心理士・武田信子先生へbenesse.jp
長い文章だったが、皆さんが考える際の資料となれば幸いである。
ゲームのように大人から与えられるものでなく、生活の中で自ら見いだす『名も無い遊び』が大切な時期があることを大人たちには忘れないでいてほしいと願っている。
議論を始めてほしい。
#子どもの遊ぶ権利 #メディア依存 #ゲーム依存 #児童の権利条約 #ジェネラルコメントNo .17 #一般社団法人ジェイス

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